義經神社

境内案内と境内MAP

境内案内と境内MAP

平取町は平成19(2007)年に国内3例目「アイヌの伝統と近代開拓による沙流川流域の文化的景観」として重要文化的景観指定(文化庁)を受けました。

令和7(2025)年には第4次選定として、義經神社周辺および義経公園を含むエリアが追加選定されました。

これは①基盤となる日高山脈の造山運動に発する原自然の層、②縄文期から人間の居住を示す景観要素の層、③アイヌ文化期の景観要素の層、④近世以降アイヌと和人の協働により形成された景観要素の層、⑤アイヌ文化の再生と復興にかかわる取組(現在)の層が、それぞれ積層となっている特色を評価されたものです。

平取の語源「ピラ・ウトゥㇽ」はハヨピラと対岸の崖を指したもの、との一説によるとされることからも、まさに義經神社を中心として、アイヌの人たちの生活とともに、多文化の調和を現代に伝える文化的にも稀有な土地なのです。

以下に例示するように、ピラウトゥㇽコタンはアイヌ文化期から明治にかけて、北海道の歴史・文化的にもっとも重要な場所であったといっても過言ではないでしょう。

  • 寛政11(1799)年に近藤重蔵が中世の英雄、源義經公の木像を寄進したことから、最初の義經神社がハヨピラの丘に建立された
  • 安政5(1858)年には松浦武四郎が訪れ、「ハヨヒラの図」として絵図に残した
  • 明治11(1878)年には英国人女性旅行家「イザベラ・バード」が当地を訪れ、崖をよじ登り義經神社の社殿に赴き、外国人として初めて義経像を眺めた、と日本奥地紀行に記した

多くの国内外の要人が当地を訪れ、滞在し、調査・研究とともに、アイヌの人々と調和を重ねたことが現在の平取町の歴史・文化・伝統の背景にあるのです。

今後も多くの方々にご参拝・ご散策いただき、新たな気づきとともに、今後のみなさまのご安寧を弥栄にお祈りいたします。

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御神像
御神像

1799年の奉納から220年にあたる2019年に特別拝観されました。次回は奉納230周年として2029年に特別拝観を予定しております。

本殿
本殿

昭和36(1961)年に造営された建物です。明治9(1876)年に村社となって以降、地域の総鎮守としての役割を果たしています。

本殿内部
本殿内部

祭祀やご祈祷の折以外は中にお入りいただけます。御朱印やお守りの授与を行っております。

本殿内部・御神前
本殿内部・御神前

神事を行う場所です。御神前に上がってのご参拝につきましては事前にご相談ください。

お守り取り扱い所
お守り取り扱い所

本殿の中で取り扱っております。御札やお守りの初穂料は賽銭箱にお入れください。

御朱印申込所
御朱印申込所

本殿の中でお申込みいただけます。宮司不在の場合は後日郵送にてお届けいたしますので、申込用紙に記入の上箱にお納めください。

古札納め所
古札納め所

古い御札やお守りをお納めください。

参道
参道

表参道は階段ですが、裏参道をご利用いただくとお車で上がっていただくことができます。

例大祭
例大祭

毎年8月14日、15日に開催しています。

子ども相撲
子ども相撲

例大祭の際に子ども相撲大会が開催されます。

義経神社の御神木
義經神社の御神木

御神木であるクリの木には、源義經公が奥州から逃れ北海道に渡り、義經神社付近に居を構えた際に植えられたという伝承があります。

手水舎
手水舎

チセ風の屋根を持つ全国でも珍しい手水舎で、水盤は「幸太郎石」と呼ばれる沙流川の支流でのみ産出される銘石です。

静御前・常盤御前
静御前・常盤御前

義經公と叶わぬ契りを結んだ静御前の歌碑「吉野山嶺の白雪踏み分けて入りにし人の跡ぞ恋しき」、母常盤御前の頌徳碑を奉安。

さざれ石
さざれ石

国歌にも謡われるさざれ石。平取町の沙流川支流・額平川で産出された24tのさざれ石を篤志家より奉賛頂きお祀りしています。

義経資料館
義経資料館

昭和36(1961)年に使用目的を結婚式場等とする義経会館が開館し、平成2(1990)年に改修し義経資料館としてオープンしました。

ペンリウク頌徳碑
ペンリウク頌徳碑

ハヨピラの丘に最初の祠が建造された後、明治30年代前半までピラウトゥㇽコタンの長であるペンリウクが護持した記録があります。

八田満次郎翁碑
八田満次郎翁碑

日本のクロム王と称され、社殿付近一帯を壮大な計画をもとに私財を投じ「義経公園」として開発した八田満次郎の偉功を称える碑。

義經神社近辺の案内図

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